院長:大草 等(おおくさ ひとし)
- 出身
- 愛知県瀬戸市
<所持資格>
〇PHIピラティス
・プロップス(ストレッチポール、ピラティスリング)
・Mat&II
〇日本コアコンディショニング協会(JCCA)
・アドバンストトレーナー
・シニアコンディショニング・スペシャリスト
・ひめトレインストラクター
〇日本あしづかみ協会・あしづかみセラピスト
〇国際救命救急協会CPR&AED
はじめまして!
初めまして、体サポート院長の大草等と申します。
当院HPをご覧いただきありがとうございます!
私の自己紹介をさせてください。
<誕生から幼少期>
私は愛知県瀬戸市で生まれました。
公園が併設されている市営団地に住んでいて、
2歳の私は父親が仕事を終えてから毎日のように公園でキャッチボールをしていました。
これがきっかけで、野球に興味を持ちました。
<小学校時代>
野球が大好きな活発な少年でした。
小学校5年生の時に瀬戸市の陸上競技大会100m で4位になりました。
当時は俺が1番だ!!!!!!!!!!!!!!と思っていました。
今、思えば 自己満足でして・・・。
とはいえ普段は野球部で練習に明け暮れていました。
当時は、水を飲んではダメな時代。
「トイレに行きます。」と伝え、こっそりトイレの蛇口で水を飲んでいました。
先輩にバレて、胸ぐらを掴まれてもうまくやり過ごすことを覚えた小学生時代でした。
<中学生時代>
軟式野球部で投手とセンターを守っていました。
投手としては、この頃からカーブが得意でした。
ドロンカーブという自信満々のカーブを投げていましたが、
チームメイトからは「しょんべんカーブ」 と呼ばれてました。。。
とはいえ空振り、三振が多く取れる得意球でした。
中学2年生の時、瀬戸市の新人戦で優勝投手になり、MVPを受賞しました。
(前列右から2番目 大草)
進路を決める時は複数の名門校からお誘いをいただきましたが地元の瀬戸北高校へ進学しました。
<高校時代>
当時も投手、外野でしたが、
投手の練習メニューで一生分は走ったと思います。
当時は毎日150~200球の投げ込みを行なっていました。
しかし、練習も虚しく高校最後の夏大会は2回戦で敗退・・・ 大泣きしました・・・・
負けて悔しいではなく、高校野球、やりきった!!という爽快感と安堵感から涙が溢れました。
進路では大学1校、社会人野球部3社からお誘いをいただきましたが、スポーツ専門学校入学しました。
<専門学校時代>
独立目標30歳!から始めたトレーナー。
21歳の時、蟹江のスポーツクラブでオープニングスタッフを経験させていただきました。
システム、マニュアル、スタジオメニュー、マシンの置き場所、お客様の問診票などを作成、他のスタッフに指導提供をしていました。
24歳で西春スポーツクラブにて「中川式整体」を受け継ぎ施術、リハビリ、パーソナルトレーニングを指導させていただき、目標通り30歳で独立しました!
H19、6月6日
<独立後>
H19、6月6日「セルフ&コンディショニング~運動療法施設~体サポート(ボディサポ)」を開院
この年から愛知高校硬式野球部トレーナーに就任しました。
(中日ドラゴンズ・祖父江大輔投手が教え子です!)
その他、高校硬式野球部、社会人野球クラブチームトレーナーを行なったり、
社会人・愛知選抜クラブチーム 第1回・日韓親善試合にもトレーナーとして帯同しました。
その縁もあり、社会人野球クラブチーム「NAGOYA23」にトレーナーとして就任しました。
この時、女子プロ野球選手になりたいと、2人の女性が練習生として参加していました。
2011年には中日ドラゴンズインターン。
グランド内でプロ野球選手を間近で見れて、感動しました。
その間、色んな症状、重度の症状などがあるお客様を施術させていただきました。
私が常々思っているのは「お客様の色んな症状、困ってる方々を、何とかしたい! そんなお客様方々に対して、良くなるような指導などを、誠心誠意、心を込めて行いたい!!」
ただそれだけです。
お体にお困りの際はご相談ください!